あなたのことはそれほど 第5話
今期話題になっているドラマ、「あなたのことはそれほど」の第5話を見ました。
これはいわゆる不倫のドラマなんですけど、不倫といえば前回のシーズンの「奪い愛、冬」も話題になっていましたね。私は見ていませんが、恐怖のドロドロドラマだったみたいで。
どうして最近不倫系ドラマが人気を集めるようになっているのでしょうか。
王道の恋愛ドラマとは違う良さがあるんですよね。刺激的で一種の痛快的なもの。
個人的に私は、つまらないイチャイチャ恋愛ドラマはイライラするのであんまり好きじゃないです。
恋に落ちる→うまくいきそうになる→ライバル現る→ピンチ→結局ハッピーエンド
だいたいこんな感じですよね。(偏見)
まあ、王道の恋愛ドラマは、自分もそんな素敵な恋愛してみたい!とは思うのかもしれません。
でも、不倫ドラマは、自分は絶対にそういう風になりたくないけど見ている分には楽しい!となります。
ドラマの世界だってわかっているから面白がって見れるんですよね。刺激です。
第5話では、今までは良い夫の仮面を被っていた美都の夫が本性を現しはじめます。
それと同時に登場人物がみんな張り付いたような笑顔になったのが今回の1番のポイントですね。だれも目が笑っていない、その状況はホラー、狂気の沙汰でしかないです。
浮気したことに対して、感情的に怒るのではなく笑顔で縛り付けることが一番の復讐になっているのでしょう。
自分が美都の立場だったら怖くて仕方ないんでしょうけど、もし浮気された立場だったら、涼太みたいなことをしてみたい!という気はありますね。浮気されてショック、、、という気持ちももちろんあるけれど、その恨みをああいう形で発散できたらどんなにスッキリするか、、、。いや実際はできませんけどね多分。
これからもっとみんな暴走していき、人間関係が崩壊していくのでしょう。どんな結末になるのか楽しみです。
シンゴジラ
私は別に怪獣映画が好きではないし興味を持ったこともありません。だから、「シンゴジラ」が大ヒットしていると聞いた時も見ようという気にはなりませんでした。どうせゴジラが出てきて暴れて、それをみんなが倒すだけやろ、って思ってました。
まあ実際に今回DVDで見てみたら、ストーリーは大まかにはそんな感じだったんですけどね。
でも、そういう系統の映画になんの興味も持っていなかった私が見ても最後まで飽きずに見れました。さすがヒットしてただけありますね。
まず多くの人が感じるのは、セリフの多さと速さだと思います。そもそも会話の内容が専門用語のオンパレードで訳が分からないのに、それをまくし立てるような早口で喋っているから、もうお手上げでした。頭が追いついていかなかったのは自分の責任っていう部分もあるんでしょうけど。
文句を言っているのではありません。それなのに飽きなかったのが凄いっていう話です。難しい言葉がテンポよく飛び交っている様子が、THE 出来る大人!って感じがして純粋にかっこいいって思ってしまったんですけど、なんかバカっぽい感想になりましたね。
というか、そもそもあのセリフは全部聞き取ってもらうために言っていたのでしょうか。あんな風に喋ることで、大人たちの"会議of会議"っていう雰囲気づくりみたいなこともあったのではないかと、個人的には思っています。
あとは、心の奥底の願望を刺激されるような感じがしました。小さい頃、変身して悪者を倒すようなヒーローモノを見て、かっこい!!自分もヒーローになりたい!!と思った人は少なくないと思います。そんな幼き日の憧れを、シンゴジラでは現代の日本の大人の世界で実現していたという感じがしたのは私だけでしょうか、、、。まあ、私も日本を守りたい!って思った人もいただろうな、っていう感じです。
次に気になったのは「ヤシオリ作戦」です。
「長いので、名前は『ヤシオリ作戦』にしましょう!」
とか言われても。
いや、ヤシオリって何?どっからきたの?無知な私には分かりませんが?
となったので、調べてみました。
「ヤシオリ」は、漢字にすると「八塩折」で、ヤマタノオロチを倒すために用いられたお酒の名前だそうです。ゴジラに注入する血液凝固剤と活動抑制剤がお酒に例えられているという感じなのでしょう。
見終わった後に、エヴァンゲリオンにとても似ていたという意見を聞きました。作っている人が同じだからそうなったみたいなのですが、私はエヴァンゲリオンを見たことがなかったので、字幕がとても多いのはなぜか全然分かっていなかったし、なんなら字幕多過ぎて邪魔だなあとまで思っていました。やっぱり予備知識があるのとないのでは見え方も変わってくるんでしょうね。
最後に、ただ怪獣映画っていうだけで食わず嫌いしていたことを後悔しました。
もっと色々なジャンルの映画を見たら世界観が広がるのかもしれませんね。
グリーンマイル
「グリーンマイル」は、1932年の大恐慌時代の死刑囚が収容される刑務所を舞台とした映画である。
主人公のポールが、刑務所で看守をしていた時、双子の女の子を殺した罪で死刑判定を受けた黒人の囚人コーフィと出会う。彼は、触れるだけで病気や怪我を治すという不思議な力を持っていた。
まず、死刑囚の集められた刑務所、というのだけを聞くと、少なからず暗く冷たいイメージを持つだろうが、この映画では単純にそうではないという印象がとても強かった。
囚人たちは、死刑になるということが決まっているのにも関わらず、平然としていて冷静だった。いや、むしろそれまでの時間を楽しんでいるようにも見えたのだ。囚人の1人であるドラクロワは、死刑執行のリハーサルしている最中にふざけて笑いをとったり、刑務所内にいたネズミをペットとして飼い始めて芸を覚えさせたりしていた。
そのようなほのぼのした場面は、私の持っていた刑務所に対するイメージとは大きくかけ離れているものだった。
まあ確かに、ずっと刑務所での淡々とした冷酷な雰囲気が続いていたらこの映画を3時間も見続けるのは苦痛でしかなかったかもしれない。(実際私はあまりシリアスな映画が得意ではない)
また、看守たちも囚人たちに寄り添っており、仲良くなっているという状況に違和感を覚えた。
「どこか別のところで会いたかった。」
ある囚人は死刑執行の直前に看守にそう言った。
「大丈夫。勇気を出せ。」
これは死刑執行の前に、看守が囚人にかけた言葉だ。
こんな関係が死刑囚の刑務所で築かれているというのは、私にとっては想像もつかないことだった。冷たい刑務所のイメージとは違って、むしろ温もりさえ感じるようなものだったのだ。
ところどころに溢れるユーモアや、看守と囚人の暖かい繋がりが描かれていることで、囚人を悪人としてではなく1人の人間として愛着を持って見ることができたのだろう。
しかしそれが逆に、死刑執行の時に感情移入してしまうことに繋がってしまったのだが。
次に、コーフィの話題に移る。
コーフィは実は無罪であったということが判明するが、それを証明できるものもなかった。看守たちは脱獄を勧めるが、彼は最終的に冤罪による死刑判決を受け入れることを選ぶ。
映画の中で、コーフィはこの言葉を繰り返した。
「愛を利用して人を殺した。同じことが世界中で起こっている。」
彼はそんな世の中に耐えれなくなったのだ。彼は誰よりも優しく、誰よりも愛に溢れた人間だった。
この世界は、うまくいかない、どうしようもないことが多すぎる。
本当は死ななくていい善人が処刑されてしまう。阻止したくても、それもできない。被害者側はコーフィを恨んでいて、憎んでいる。本当は違うと伝えたくても伝えることができない。もどかしくて、どうしようもなくモヤモヤする。しかしそれは誰にもどうすることもできない。
こんなに理不尽なことが世界ではきっとたくさん起こり続けているのだろう。そう思うと、こんな酷い世界に目を瞑って死を選んだコーフィの気持ちが分かる気がした。
ポールはコーフィの不思議な力によって108歳まで生き続けている。愛する人たちが死ぬのをずっと見届けてきたのだ。これはコーフィを殺した罰だとポールは言っている。もう何が正しいのか私には分からなかった。ポールは悪くないのにずっと罪の意識を背負ったまま生きている、いや生かされているのだった。
こんな理不尽な世界でも、きっと生きていくしかないのだろう。
そんなことを考えさせられるような映画だった。しかし、きっと私の20年間の浅い人生経験では分からないようなことがたくさんある。もっともっと大人になった時、この映画をもう一度見たらまた違うことを考えられるようになっているのだろうか。